2013年02月28日

海の街道・潮待ち港

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昨日は蒲刈〜御手洗へ写真を撮りに行っていました。
今日の写真は蒲刈の「三ノ瀬本陣」の前の雁木(がんぎ)です。雁木は潮の満ち引きに関係なく船に乗るためのものだったのでしょうがよく考えられています。
江戸時代の参勤交代では、西国街道(山陽道)などの陸路より海路利用が多く、三ノ瀬は本陣もおかれ重要な場所だったのでしょう。
また海路は昼夜の関係なく潮の満ち引きで動いていたと思え、各地には宿泊地ではなく潮待ち港があり、その潮待ち港の多くは潮流を利用しやすい瀬戸にあります。
現在の港の多くが瀬戸にあるのもその名残でしょうか。

西国街道とは・江戸時代の山陽道の呼び名です。しかし、各藩によって異なり広島藩では西国道ですが、長州藩などでは山陽道と呼んでいたようです。
また西国とは関西になりますので、「西国へ行く道」ではなく、「西国の道」と解釈したほうが正しいように思えます。
対して東国は関東です。

広兼高士

「広島写真美術協会」のホームページでは会員の写真紹介(ギャラリー)、広島のいいもの紹介、広島の歴史紹介など写真情報満載です。


posted by HPA・PHOTO at 08:51| Comment(0) | 歴史
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