2013年04月19日

参勤交代の海路をたどる

先日姫路方面に仕事があったので、少し早めに家をでて海沿いの道を走り、参勤交代、朝鮮通信使が立ち寄ったと思われる主な「潮待ち港」を写してみました。(御手洗・三ノ瀬は少し前、鞆は帰りの撮影です)

広島藩の海の本陣があった下蒲刈、「三ノ瀬」です。ここには長い雁木が残っています。
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「三ノ瀬」

御手洗条約、七卿落ちなど多くの歴史の舞台となった御手洗、御手洗の語源も菅原道真公がお手を洗われたとか聞きます。
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「御手洗」

御手洗を出港した船は「鞆の浦」の港に、ここは三条実朝ら七卿も立ち寄っています。
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「鞆の浦」

岡山県の「下津井港」です。ここは海運で栄、東西に長い港町ですが、写真は朝鮮通信使が上陸したと言われる西の部分です。
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「下津井」

牛窓は近年の開発で雁木などは残っていないようです。ここも東西に長い港ですが写真は「お船番所」があったと言われるもっとも東になります。
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「牛窓」

兵庫県たつの市「室津港」です。九州、中国地方の大名はここで上陸し、ここから陸路で江戸に向かいます。ですからここには本陣が六軒あったと言われますが現在は残っていません。
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「室津」

港間の距離は40km〜50kmぐらいと思われます。瀬戸内海の水はこの距離で満ち引きを繰り返し、一気に外海へ流れることはありません。昔の航海はその潮の満ち引きを利用してのものです。
汚さないように大切にしたい海です。
広兼高士

追伸
広島写真美術協会HP「特別展示室」へ掲載の、戦艦大和の写真についてのコメントをいただきましたので本日追加掲載しました。ご覧ください。

「広島写真美術協会」のホームページでは会員の写真紹介(ギャラリー)、広島のいいもの紹介、広島の歴史紹介など写真情報満載です。
posted by HPA・PHOTO at 08:17| Comment(0) | 歴史
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