2017年06月17日

天満遊郭跡・大崎上島町

tennma293.JPG
大崎上島町、木江天満遊郭跡ですが、木造の建物ですのでだんだんと壊れているようです。大切な歴史遺産と思うのですが、存続はむつかしいのでしょうか・・・?
広兼高士




almanac2899.jpg
 HPAが運営する広島の魅力紹介の写真サイトです。(バナーの紅葉は宮島です)
posted by HPA・PHOTO at 15:27| Comment(0) | 歴史

2015年01月15日

龍馬さんもデート

takenobu27.JPG
今日は珍しい場所を紹介してみます。
ときは明治維新、
あの坂本龍馬とおりょうさん(妻)がデートした場所です。
二条城の近く堀川通りに面した三条会商店街、
中ほどを少し入ったところにある武信稲荷です。
広兼高士

⇒「HPA・広島写真美術協会」のホームページでは会員の写真紹介(ギャラリー)、広島のいいもの紹介、広島の歴史紹介など写真情報満載です。
(広島写真美術協会入会についてはホームページをご覧ください。)


posted by HPA・PHOTO at 14:07| Comment(0) | 歴史

2013年12月19日

宇土櫓(うとやぐら)より熊本城大天守

kumamoto.JPG

日本三名城のひとつ熊本城に行ってきました。
加藤清正公が慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけて築城。
宇土櫓は築城時そのままの姿を残し国の重要文化財に指定され
ております。戦にそなえ工夫された造りや柱に歴史を感じます。
上殿 章

⇒「HPA・広島写真美術協会」のホームページでは会員の写真紹介(ギャラリー)、広島のいいもの紹介、広島の歴史紹介など写真情報満載です。
(広島写真美術協会入会についてはホームページをご覧ください。) 
posted by HPA・PHOTO at 13:14| Comment(0) | 歴史

2013年07月18日

御手洗の状況をサイトに・・・

zasiki460.jpg
写真は現存する御手洗のお茶屋「若胡屋」のお座敷です。女性はアシスタントとしてお手伝いいただいた広島ファッション専門学校の高橋さんです。
御手洗の歴史保存活動の内容や様子をHPAサイトに載せましたのでご覧ください。
広兼高士

「広島写真美術協会」のホームページでは会員の写真紹介(ギャラリー)、広島のいいもの紹介、広島の歴史紹介など写真情報満載です。
posted by HPA・PHOTO at 09:11| Comment(0) | 歴史

2013年04月22日

「石づみ」ですが・・・

ishigumi038.jpg
昨日清掃した「津和野街道」にある「石づみ」です。まだ調査はしていませんが、平積みの石垣で現在のように組み込んだものではなく、重ねただけの積み方で古いものだと思います。
そんな古道ですが、
先日福屋であった院展にもだされていた院展画家の方も参加され、いま街道を絵にされていますので、今年はご案内を兼て少し丁寧に写真も撮ろうと思っています。
広兼高士

「広島写真美術協会」のホームページでは会員の写真紹介(ギャラリー)、広島のいいもの紹介、広島の歴史紹介など写真情報満載です。
posted by HPA・PHOTO at 08:14| Comment(0) | 歴史

2013年04月19日

参勤交代の海路をたどる

先日姫路方面に仕事があったので、少し早めに家をでて海沿いの道を走り、参勤交代、朝鮮通信使が立ち寄ったと思われる主な「潮待ち港」を写してみました。(御手洗・三ノ瀬は少し前、鞆は帰りの撮影です)

広島藩の海の本陣があった下蒲刈、「三ノ瀬」です。ここには長い雁木が残っています。
sannose048.jpg
「三ノ瀬」

御手洗条約、七卿落ちなど多くの歴史の舞台となった御手洗、御手洗の語源も菅原道真公がお手を洗われたとか聞きます。
mitarai46010.jpg
「御手洗」

御手洗を出港した船は「鞆の浦」の港に、ここは三条実朝ら七卿も立ち寄っています。
tomo131.jpg
「鞆の浦」

岡山県の「下津井港」です。ここは海運で栄、東西に長い港町ですが、写真は朝鮮通信使が上陸したと言われる西の部分です。
snhimotui25446.jpg
「下津井」

牛窓は近年の開発で雁木などは残っていないようです。ここも東西に長い港ですが写真は「お船番所」があったと言われるもっとも東になります。
ushimado022.jpg
「牛窓」

兵庫県たつの市「室津港」です。九州、中国地方の大名はここで上陸し、ここから陸路で江戸に向かいます。ですからここには本陣が六軒あったと言われますが現在は残っていません。
murotu053.jpg
「室津」

港間の距離は40km〜50kmぐらいと思われます。瀬戸内海の水はこの距離で満ち引きを繰り返し、一気に外海へ流れることはありません。昔の航海はその潮の満ち引きを利用してのものです。
汚さないように大切にしたい海です。
広兼高士

追伸
広島写真美術協会HP「特別展示室」へ掲載の、戦艦大和の写真についてのコメントをいただきましたので本日追加掲載しました。ご覧ください。

「広島写真美術協会」のホームページでは会員の写真紹介(ギャラリー)、広島のいいもの紹介、広島の歴史紹介など写真情報満載です。
posted by HPA・PHOTO at 08:17| Comment(0) | 歴史

2013年03月03日

原城跡

harajyo32.jpg
ただパチパチと撮っている私の写真ですが、最近お城の写真を整理していたらこんな写真がでてきました。
「天草四朗」で有名なは原城跡(島原市南有馬町)です。
島原の乱は過酷な年貢の取り立てと、過激なキリシタン弾圧に抵抗した「農民とカトリック系のキリシタン」の人たちが起こした一揆です。
この戦いでは時の島原藩主(松倉勝家)まで斬首の刑となっています。その後お城(原城)は徹底的に破壊されており、いまは名残の石垣がのこるだけです。
権力もほどほどにということですかね。
広兼高士

「広島写真美術協会」のホームページでは会員の写真紹介(ギャラリー)、広島のいいもの紹介、広島の歴史紹介など写真情報満載です。


posted by HPA・PHOTO at 08:34| Comment(0) | 歴史

2013年02月28日

御手洗「常夜灯」

jyoyatou4044.jpg
昨日に続き潮待ち港、御手洗の常夜灯です。
御手洗の町並みを映していると、遊郭跡「若えびす」の前を観光客らしき女性が三人通り過ぎました。
私「あのー観光客の方ですよねー」
女性「ハイそうですよ」
私「ここは見学されたほうが良いと思いますよ」
いつものおせっかいですが・・・。
広兼高士

「広島写真美術協会」のホームページでは会員の写真紹介(ギャラリー)、広島のいいもの紹介、広島の歴史紹介など写真情報満載です。


posted by HPA・PHOTO at 18:47| Comment(0) | 歴史

海の街道・潮待ち港

gangi4053.jpg
昨日は蒲刈〜御手洗へ写真を撮りに行っていました。
今日の写真は蒲刈の「三ノ瀬本陣」の前の雁木(がんぎ)です。雁木は潮の満ち引きに関係なく船に乗るためのものだったのでしょうがよく考えられています。
江戸時代の参勤交代では、西国街道(山陽道)などの陸路より海路利用が多く、三ノ瀬は本陣もおかれ重要な場所だったのでしょう。
また海路は昼夜の関係なく潮の満ち引きで動いていたと思え、各地には宿泊地ではなく潮待ち港があり、その潮待ち港の多くは潮流を利用しやすい瀬戸にあります。
現在の港の多くが瀬戸にあるのもその名残でしょうか。

西国街道とは・江戸時代の山陽道の呼び名です。しかし、各藩によって異なり広島藩では西国道ですが、長州藩などでは山陽道と呼んでいたようです。
また西国とは関西になりますので、「西国へ行く道」ではなく、「西国の道」と解釈したほうが正しいように思えます。
対して東国は関東です。

広兼高士

「広島写真美術協会」のホームページでは会員の写真紹介(ギャラリー)、広島のいいもの紹介、広島の歴史紹介など写真情報満載です。


posted by HPA・PHOTO at 08:51| Comment(0) | 歴史